釜蓋朔日

今日はお寺さんがお盆のお経をあげに来てくださいました。
ちょっと早いだろうって?
そうなの、わが家とお寺さんの都合がこの日しか合わず、お盆一歩手前ですが
まぁいいやってことで。
ご先祖さまや、義父母からちょいと早いお呼びね~と
クレームがくるかも。
昨日は夫が出勤土曜日ってことで
いつもは私の内職部屋と化している仏壇のある部屋をひとりできれいにセッティング、
お盆提灯だけは仕上げに帰宅後の夫に出してもらいました。

広島に続き、今日は長崎の日でした。
8月6日、夏休みのこの日は、子供の頃、いつもの朝の連続テレビ小説の時間に
祖母と一緒にテレビの前で正座して黙祷をするのが決まりごとでした。
でも時々目をあけたり、少し気恥ずかしかったり。
何度かその悲惨をききながら痛ましいと思いながらも
その痛みは薄いベールを通したむこうの痛みだったような気がします。
ところがブログを始めてから、不思議とその地に縁のある方と何人か知り合い、
以前とは少し違う気持ちでこの日を迎えるようになりました。
ことに昨年の夏ちょうどこんな季節に、
友達の広島を訪ねてからはよけいにその想いが強くなりました。
勝手だけれど、誰か知っている人がいてはじめて、
その事実はぐんと距離を縮めてせまってくるように思います。

原爆を落とすそこに、大切な人がいると思うなら、それはできるのだろうか。
自分を愛し育んでくれた両親が、
かけがえのない夫が妻が、愛おしい我が子が、大切な兄弟が、友達が・・
それができるのであれば、
それはもはや狂気としか呼べない何ものかにとらわれているとしか思えません。
人類の歴史は戦争と共存してきた歴史、
はかなく虚しい願いのようだけど、
大統領にも、総理大臣にも、国王にもそんな大切な人はいるはず
きれいごとじゃなく、そこに自分の大切な誰かがいると思えば
それは、そう簡単にできることじゃなくなるはず。
そんな想像力をもって、世界が生きていけたらいいのに。
オバマ大統領のプラハ演説があった今年、
語り継ぐ人がどんどんいなくなっている今
言葉だけではない何かの一歩になりますように。



友達のブログ記事のタイトルで初めて八朔という言葉の意味を知りました。
地獄の釜の蓋があくという釜蓋朔日(かまぶたついたち)も
似たような意味合いの言葉なのかな。
お盆の帰省も始まりました。
私も明日から夏休み、遠出の予定も無く、友達と会ったり家のことをしたり。
のんびり過そうと思っています。


昨年広島で撮った蓮の花。

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by kisaragi87 | 2009-08-09 16:03 | 日々雑感
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