最後だとわかっていたなら

つい先日のこと、あるひとつの歌にであいました。
歌っていたのは、元パリコレモデルの秀香という人。
ああ、そういえば何となく記憶にあるなあ・・

秀香さんが歌い始めたのは50歳の時だったそうで、
若い子では歌えない、人生経験を重ねた人だからこそ歌えるシャンソンに惹かれ、
モデル引退後に歌の道に挑戦し
そしてそれから9年の今年、「最後だとわかっていたなら」でデビューしたそうです。

この「最後だとわかっていたなら」は
アメリカの9.11テロをきっかけに世界中に広まった詩だそうですが
もともとの原詩は子供を失った母親が作ったものだとか。
ちょうどトックンが一青窈の歌うハナミズキの歌詞は
9.11の時に作られた歌だったのだということを記事にしてくださり、
私も『最後だとわかっていたなら』を知ったばかりのときだったので
9.11つながりの偶然におどろき、ここに紹介しようと思います。
秀香さんの歌詞は少し歌いやすいように省略があるので
ここでは原作で。



「最後だとわかっていたなら」

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

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最初にこの歌をきいたとき、私はいちばんに父のことを思い浮かべ、
ああ、これだったんだと納得しました。
知らず知らずに父と宵越しの喧嘩をしなくなったのは
たぶん父の明日が約束されたものではないことを
父の年齢を慮って少しずつ私が感じていたのかもしれないなあと。

しかしこの詩が愛する我が子のことを想って書かれた詩であるように
そして詩にも書かれているように
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということ
今日が最後になるかもしれないということも事実なのです。

私が時々お手伝いをさせてもらっている地元の幼稚園で
同じように手伝いの仕事をされている小さなお寺のご住職がいらっしゃいます。
その方が夏の暑気払いの時に話してくれた話がありました。

そのお寺では地域の青年団が月に何度か活動をしているのですが
そこに所属していたある青年がこの春に事故でなくなったそうなのです。
その日も朝早くから起きてでかける息子に
お母さんもいつもなら起きてお弁当を作ってあげるのに
その日にかぎって起きられず、
母親がつかれきっていることを息子もわかっていたのでしょう、
黙ってでかけ
その気配を感じながらも、寝床の中からごめんと見送ったそうなのです。

その直後に息子さんは帰らぬ人となってしまいました。
それ以来なぜ起きてお弁当を持たせてやらなかったのだろう、
せめて起きて行ってらっしゃい気をつけてと言ってやればよかったと
お母さんは悔やみ、
それからというもの、お寺の青年団の活動がある日は
必ず人数分のお弁当を作って持ってきてくれるのだそうです。
なんて哀しい運命だったのだろうと、
この時もお母さんが悪いわけじゃない、
だけどお母さんにしたら、どんなにその朝にかえって
息子のために起き、お弁当を作り、行ってらっしゃいと言ってあげたかったことか。

あたりまえのように繰り返されている日々のこと
いつも笑顔で家族に接していられるわけもなく
小言を言ったり、手を抜いたり、
それはあたりまえに誰しもあること。
だけど時々こんなことも思い出すと少し違った気持ちですごせるような気がします。

何度も同じことでかかってくる父の夜の電話にも
さっきも言ったじゃない。
そう返す言葉はなかなか飲み込めないけれど、
たいがい家族の帰る時間や予定のことなので、
受話器を置く前だけは、ありがとう、心配しないでね、おやすみと言えるようになりました。

極楽トンボの息子にも、いいかげんなところが目に付いて
ついつい出がけの小言が多くなるのだけど
行ってらっしゃい、気をつけてねだけは忘れないように。

きれいごとじゃなくていい、
たぶんこれは自分が後悔したくないため、心残りを作らないためなのだけど、
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを思ったとき、
送り出すときと眠る前くらいはせめておだやかに、と思います。

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これは自分に言いきかせている言葉、
母の時のことを思ってみても、後悔なくして見送るなんてたぶん無理なんです。
でも最近の父への気持ちを振り返ってみると
書くことの効用はとても大きいと実感することも多くて。
だからあえてここに書いておこうと思いました。
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by kisaragi87 | 2009-10-14 18:47 | 日々雑感
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