11月11日、一の酉、一が五つ並んだ、並んだ
今年もこの季節 酉の市がやってきました。 降っていた雨も、小止みになり、空も少しだけ明るくなった午後、 人波がぞろぞろと、鳳神社に向かうのが見えだすと ああ、今年もこの季節がめぐってきたのだな 早いものだな・・ 一年無事にすごせました、ありがとう。 そんな気持ちになれるのです。 最初に酉の市に行ったのは、結婚を決めた秋のこと ずっと行きたかった酉の市に一緒に行ってと、私から誘いました。 それから毎年、毎年、もう21年。 買ってきた熊手を納めにいかなくてはならないので つい途切れることなく続いてしまう、 商売をしているわけではないけれど 家内安全、健康で過ごせますようにと、でかけてしまうのです。 もちろん、家内安全、健康の年ばかりではありませんでした。 21年の間には、、山あり、谷ありてんこ盛り。 それでも、二本じめの手拍子も軽やかに聴こえると さて、くる年はどんな年かしら・・ そう思いながら、この日を迎えられたこと そしてまた、ここで人波におしくらなまんじゅうできる幸せを感じるのです。 家族そろってでかけた日もあれば、 凍えるような寒い日に、小さな息子の手を引き、二人ででかけたこともありました。 熱々の缶紅茶も、あっというまに冷めてしまうほどの寒さだったけど なんだか温かな思い出のひとこまです。 当時はこの季節は、厚いコートを着る日も多かったな・・ 今より寒かったような気がします。 そういえば、母も、どういうわけかこんなことの好きな人でした。 浅草、浅草寺の四万六千日と、ほおずき市。 羽子板市で買ってきてくれた羽子板は、今もお正月に飾ります。 そして、冬至の一陽来復。 母は何を想い、そんな季節ごとの行事を愛していたのでしょう、 一陽来復のお札をはったって 観音様にお参りしたって、苦しい日々があったじゃないか・・ そう想うこともあるけれど きっと、これは母にとっては、そんな日々の中のささやかな季節の決め事。 そして、たぶんまたそこに、ささやかな想いをこめて、 一年一年を過ごしていたとも思えるのです。 穴八幡神社からいただいたお札を家族そろって貼る冬至の夜 今年は、こっちの方角だよ、 いや、こっちにちょっと傾いていると、 父や私まで動員して、やいのやいのと騒ぐ時の嬉しさは 歳の瀬のあわただしさも、ないまぜになって 母がいた時の心おどる年中行事、 これらのほとんどは、母が亡くなってからは、ぱったりとやめてしまいました。 そして代わりに、続いているのが、 母亡き後に、始まった酉の市です。 そして、そんな季節の行事をまた楽しんでいる私。 やっぱり親子だね、そんなふうに思えることも幸せ。 今年もありがとう、 そしてまたくる年も、どうぞよろしく。 一年一年、無事で、 またここに来れたことに感謝しつつ。 霜月の 観音さまの そのあたり 母のおもかげ さがしてみたよ
by kisaragi87
| 2007-11-12 07:36
| 旅・散策
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