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彼岸の坂道雨の中

もう彼岸は明けましたが、
ちょうど中日だった二十日に母のお墓参りに行ってきました、
一緒に行くはずだった父は、あいにくの雨降りのため同行を断念。
母のお墓は六本木にあります、
祖母が北海道から出てきた当時、そこがそんなハイカラな場所とも知らなかった祖母は
母の友達の紹介で、そこに北海道からひきはらってきた祖父のお墓を建てました。
せっせと働いてためたお金をそっくりつぎ込んでしまったことでしょう。

交差点の待ち合わせで有名なお菓子屋さんの横の小さな坂をくだります
そしてやがてもうひとつ小さな坂道に入り、のぼったつきあたりがお寺です。
この坂道をいく度のぼり、またくだったことか。
幼い日の私は祖母や母と一緒に。
やがて母なきあとは、
毎月の月命日に近くの職場からお昼休みにかけつけてお花をあげました。
そういえば、そのことを知っていた友達が、私の結婚式に
クラフトの、「僕にまかせてください」を歌ってくれたっけ。
せっかくの歌だったのに、友達は途中で歌えなくなってしまい、
私も涙でぐちゃぐちゃだったな。

祖母は月に一度ある「おついたち」という檀家さんの集まりに出かけるのを
何よりの楽しみにしていました。
おそらく90歳近くになるころまでは、
エッチラオッチラと、一人ででかけていたはずです。

その「おついたち」の日には、私もできるだけお墓で祖母と落ち合いました。
やはりお昼休みにダッシュでかけつけお墓参りを済ませると、
一緒にお昼を食べます。祖母のおごりです。
祖母のお気に入りは「つな八」という天ぷら屋さん。
当時はお寺の近所の坂道の根元に小さな店舗がありました。
いつも頼むのは天丼、
たぶん一人前は千円で百円玉のおつりがいくつかくる値段だったと思います。
ふたりで向き合って食べながら、何を話したのかよく憶えていません。
今は祖母とふたりで通った店はあとかたもなく
代わりに牛丼チェーン店になってしまいました。
二階の座敷に祖母と向き合って座ったあの頃は、もう遠い日。


元気にみえていた祖母もだんだん弱っていたのでしょう、
月に一度の待ち合わせの帰り道に
いつも渋谷までバスを使い、そしてそこで買い物を少しするのを楽しみにしていたのですが
その時に小さな段差につまづき病院に運ばれたことがありました。
仕事中に病院から迎えにきてほしいとの電話を受け取り
とるものもとりあえず、かけつけたら、すっかり憔悴しきって
申し訳なさそうにうなだれている祖母がありました。
そんなことがあってから、少しずつお寺に足を運ぶのをためらうようになった祖母。
それからほどなく、歩くのもままならなくなってしまいました。


雨に濡れる坂道、
祖母や母や私が、いく度となく歩いた坂道のつれずれでした。



彼岸の坂道雨の中_c0114872_10344135.jpg

by kisaragi87 | 2008-03-24 10:56 | 思い出ぽろり
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