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帰郷

今日は父の87回目の誕生日。
今週はちとへとへとモードだし、誕生日の近い夫といつも一緒に祝うので
誕生会は明日、腕によりをかけてみましょうぞ。

父にはグレーのチェックのフリースの上着と茶色のやわらかいマフラー
それに部屋着のスウェットズボンをプレゼント。
さっき届けたら、喜んでくれました。
それからほんの10分、ピンポーンとチャイムの音、
玄関をあけると、プレゼントしたものぜんぶ身につけて照れ笑いの父、
なんか可笑しくて、うれしかった。
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このあいだ友達のブログにコメントされてる方のブログへおじゃましてみたら
懐かしい歌がアップされていました。
忘れていた旋律が、静かな波のようにおしよせてくる。

この人の声と歌が好きでした。
異邦人はなんども口ずさみ、歌ったけど、
この歌も当時のLPに入っていたのだろうか
それすらも忘れてしまっていたけれど、懐かしくひびきます。


帰郷

この坂を登りつめると
ふるさとの町が見える
幼い日の壊れやすい記憶を
指先でたどってみる

灯りの花が咲き
夜のとばりに浮かぶ窓
食器のふれる音、夕餉の祈り
そこには悲しみさえ
わかちあえる人がいる・・愛の器に

この坂を登りつめると
ふるさとの町が見える



私には、やはり母と過したところ、そして父がいるところがふるさとなのだと思う。



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by kisaragi87 | 2009-10-30 18:28 | あなたへ

わが町

今までこれだけ記事を書いてきたのに、
わが町のことについては、ほとんど書いていません。
東京のことを記事にすることが多いから、
オフ会で初めて会った方も、東京だと思っていたとか、
東京の郊外や夫の母の里のある神奈川だと思ったとか・・

故郷というと、今住む町はどこかしっくりしないところがありました。
東京の板橋というところで生まれた私は
それから一年後、この町に待望の家を建てた両親とともにやってきました。
幼い頃からの思い出はいっぱいあるけれど、
それは故郷と呼ぶのには、少しだけ違和感がある、
やはり私にとっての故郷は北海道と思ってしまうのです。

だけど、生まれて間もなく移り住んだこの町も
私にとっては大切な愛する場所に違いありません。
毎朝ベランダで洗濯ものを干しながら、電線にとまったオナガの声をきく
そんな朝のなにげない風景も好き。
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今まであらためてお話したことはありませんでしたが
私の住む町は埼玉県にあります。
埼玉県というと、海のない県、東京のベッドタウン、地味な県、
「ダサイたま」なんていうあまり嬉しくないニックネームまであるようだけど
ダサイ玉はおろか、埼玉県ってどこにあるの?という若い人も多いとい思います。

実際私自身、埼玉を知らないのだと思います。
前回のNHKの朝ドラでとりあげられた川越さえも今までで行ったのは二回ほど、
日本三大美祭、日本三大曳山祭と言われる秩父夜祭も一度は見てみたいと思いながら
秩父に行ったことも子供の頃から数えてもほんの数回。
私の埼玉での行動範囲は、ほんとうに限られています。
それというのも私の住む町は東京都との境目、
歩いても20分もすれば東京に行くことができる場所にあって
生まれたのも東京なら、学校も仕事も東京、両親の勤務先も東京。
買い物も埼玉の中心地よりも東京に出るほうが早いので
どうしても馴染みの深い東京に向かってしまいます。

私がこの地にきたばかりの頃は、この町は田んぼだらけで
夏は蛙の合唱ののどかなところでしたが、
今はマンションが林立し新しく移り住んでくる人の多い若い町となりました。

以前記事にした、この場所が私の一番好きなところ、
そして娘の愛する場所でもあります。
歩いても15分でいけるこの場所は、
私が幼いころから父や母とたびたび訪れたところ、
ボートコースでは父と日がな一日釣りをしたり
ここから荒川土手沿いに
母が作ってくれたおにぎりを片手に父と何度一緒に歩いたことでしょう。

夫は父親の仕事の都合で各地を点々とし、
子供の頃からの引越しはゆうに10数回。
なので、この町が夫にとってもいちばん長く住む町となりました。

これからの時間、できたらわが町や、我が県をもっと知ってみたい、
あちこちでかけてみたいと思っています。
埼玉の名の由来のひとつには
幸福をもたらす神の働きを意味する「幸魂」(さきみたま)から発祥したという説もあります。
ふるさとは遠きにありておもふもの・・
もしかしてこの地を離れることがあるとすれば
その時は、ここを故郷と想うのかもしれません。

人恋しくなるような秋の入り日色のあとには、今日も一日よろしくのこんな朝がやってくる
ある朝のわが町の空です。

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by kisaragi87 | 2009-10-26 22:46 | 日々雑感

お茶の時間

職場ではお茶の時間が二回あります。
けっこう机に向かって根をつめる仕事なので
こんな休憩タイムは大切な時間。
パートは7人で組んで仕事をしているので、それなりにまぁ色々ありますが
こんなホットタイムが肩にはいった力を抜くのには欠かせません。

で、つい10日ほど前から3時のお茶を自分たちでいれるようになりました。
朝もお茶当番があって、交代で入れるのですが
10時のコーヒーと、午後のお茶は職場の新入社の女の子がいれてくれていたのです、
たいがいコンピュター室の若い子なのだけど
このコンピュター室の長がこの秋から新社屋のほうへ出向中で
忙しくなり、手がまわらなくなってきました。
それで午後のお茶も自分たちでいれてくださいということに。

ほんとうのことを言うと、この方がありがたい。
その時々の気分で飲みたいものは違うのだけど、
今日はこれだ、今日はあれだというのも申し訳なく
たいがい午前中はコーヒー、午後は日本茶と決めていれてもらっていました。

でも午後も紅茶がいいときや、コーヒーよねってときもあるし、
夏場なんか、冷蔵庫のカルピスも美味しそうだったりする。
それがこのたび好きなものを好きなようにどうぞとなったわけ。
まぁそのうち落ち着くところに落ちつくのでしょうが
今は日替わりで、ストックのお茶やコーヒーをお試し期間、
紅茶の種類にニルギリというものがあり、
この紅茶がもっか私の注目するところ、
紅茶でいちばん好きなのはアールグレイだけど、ニルギリもすっきりとして美味しいです。

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これは、ほうじ茶ゼリー。
ほうじ茶のゼリーはちっとも甘くないのがみそ、上の小豆やクリームと一緒に食べると
なかなか美味しいのです♪
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by kisaragi87 | 2009-10-24 13:24 | おいしい

さよならさんかく

まるちゃんのところで懐かしい言葉遊びが書かれていました。

さよなら三角 また来て四角
四角は豆腐 豆腐は白い
白いはウサギ ウサギは跳ねる・・


そう続く数え歌のような、しりとりのような言葉遊び、
子どもたちがさよならの時に言ったのであろうこの言葉ですが
私の場合は友達とのさよならの場面ではあまり使ったことがなかったような。

じゃなんで懐かしかったかというと、
小学生の頃に買ってもらった漫画雑誌「りぼん」によく連載してた
漫画家の巴里夫さんの描いた「さよならさんかく」に出てきたから。
その調子よくつながっていく言葉が面白くて、いちどで覚えてしまいました。
初めて買ってもらった漫画雑誌がこのりぼんで
ここにも思い出とエピソードがあるのですが、それはまたいつか。
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そして、この言葉遊びのように、さよならさんかくで思い出したのが
母のおむすび。
うちのおむすびは、いつも少し平らな丸だったのです。
友達のきれいに三角ににぎられたおむすびを見ながら
なんでうちのおむすびは丸いんだろう・・そんなことを思ったこともあったけど
私もいつしか母譲りの丸いおむすびを作るようになっていました。

実はこの丸いおむすびにはエピソードがあって
結婚したばかりの両親は一度おむすびのことで大喧嘩をしたそうなのです、
それはそれぞれが今まで食べてきたお結びの形から。
どうやら父方の祖母が作るのが丸くて、母方は三角。
最初どちらもゆずらず、揉めにもめたとか(笑)
で、結局頑としてきかない父に根負けして折れたのが母だったのです。

幼い頃から母のおにぎりといえば丸かったので
てっきりそれが母がずっと慣れ親しんできたおにぎりだとばかり思っていたのですが
後から笑い話のように両親からきいた話では、そんな経緯があったというわけです。

母にしたら、自分の作り方を変えるのは抵抗があったかもしれないけれど
いつしか母の手の丸みにそった形になって私にうけつがれました。

私の場合は子供のお弁当に入れるようになってから、
どうも三角のほうが納まりがいいときがあって
それ以来三角も作るようになっています。
だけど友達にも、よくそんなにきれいに丸く作れるねと言われるほど
丸い形がなじんでいるので、三角も最初なかなかうまく作れなくて
今もどこか丸みをおびた三角になってしまいます。

母も最初三角から丸へ変えた頃は、さよならさんかく、なんて思ったのかな。
芋づる式の思い出をもう一丁でした^^
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by kisaragi87 | 2009-10-24 11:22 | 思い出ぽろり

ホネケーキ

友達から今話題の洗顔石鹸をもらいました。「茶のしずく」というもの。
ネットに入れてふわふわの泡を作って洗顔するもの、
お茶の香りがして、なかなかいい感じ、
だけど結構値が張るのでなくなったら自分では買わないかもしれないな。

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洗顔石鹸というと一番に思い出すのが資生堂のホネケーキ。
のせのせ上手なわんちゃんが喜びそうな名前だけど
骨ケーキではありません(笑)
わかりやすくいえばハニーケーキ、honey cakeハチミツケーキ。
なにやら美味しそうだけど、ハチミツ成分入りで固めた石鹸というような意味があるらしい。

私が小学生の頃からわが家の台所にはこのホネケーキがありました。
昭和40年代、当時は洗面所なんてしゃれたものはなくて
台所の流しで歯磨きしたり、顔を洗ったり。
家族の歯ブラシも流しのオタマの横にかけてあったり。
その流しに渡した網だったかな、その上に
場違いのようにきれいなルビー色に透きとおった石鹸がひとつ置いてありました。
朝日が入る台所ではその色も明るく冴えて、
タイル貼りの流しの横でなんだかその石鹸だけ特別のような存在感。

それが小さくなってくると近所の化粧品屋さんによくお使いに行かされたものです、
化粧品屋のおばちゃんも、私が行くと、ああいつものあれねって顔して
ホネケーキ?ってきいてくれました。

買ってきたばかりのおろしたては、
いちだんと香りがよくて、目の前にかざしてルビー色の向こう側を透かしてみたり。
そういえば母の小さな三面鏡の下にも、きれいな透きとおった液体の入った小瓶がいくつか並んでいてそれも私の憧れでした。
そして母にも、そんな化粧品や、石鹸は思い入れとこだわりのあるものだったのです。

というのも母は小さな化粧品店を営んでいた時があったから。
それは私が生まれる前、
結婚して7、8年くらいたった頃だったのでしょうか
当時両親が住んでいた東京の板橋というところに出したお店でした。

父のところにある古いアルバムには
お店のカウンターの向こうに嬉しそうに笑う和服姿の母の写真が一枚だけ残っています。
その頃お店番というか看板娘をしていたのが愛犬エス。
サモエドという犬種の大きな子だったそうですが
今なら文句を言われそうだけど、リードもつけずに店にいて
父が帰ってくる気配を感じると、
店の向こうの角まで走っていってお帰りなさいをしたそうです。
父は今も可愛くてしかたなかったそのエスの思い出話をするくらい
両親に愛され、また両親を慕ってくれた愛犬でした。

母にとってその店を出すことが夢だったのかどうかはわからないし
その後なぜ店をたたんだのか、
経営がうまくいかなかったのか、それとも私ができて大事をとってたたんだのか
それも父にきいたことはないのですが
店に立つ母の写真はとても嬉しそうで、
それはそれで穏やかな日々だったような気がします。

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父の洗面台の横には今もホネケーキが置いてあるはず、
今もあの時と変わらない香りがするのでしょうか。
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by kisaragi87 | 2009-10-22 07:58 | 思い出ぽろり

電子詞典

中国語の勉強が、この9月で半年一期の三回目に入りました。
毎週木曜日の午後7時から9時までみっちり二時間、
最初はしどろもどろで出かけるのが気の重い日もあったけれど
やっと会話らしいこともできるようになり、
リスニングも少しずつできるようになってきたこのごろ。
通うのが楽しみになってきました。

で、一年間続いたってことで、とうとう買ってしまいました。
マイ電子辞書。
勉強を始めてすぐに買った辞書が一冊あるのですが、
最初はこれくらいでと思った日中、中日兼用のもの。
ずいぶん使ったけれど、最近はさすがに語数が少なくて困ることが増えてきました。
それならいっそのことって思い切って。
こ~んなに文字を大きくすることもできるの、歳を重ねても大丈夫バージョン♪

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さて、下の文、どんな意味か想像できますか?
私が習っているのは、簡体字という簡略化された書体なのだけど
それじゃさすがに意味不明なものが多いから
日本の漢字におきかえてあります。


①「今天非解決不可」

②「対不起」

③「没関係」

④「我愛人也学習中文」


解答は
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by kisaragi87 | 2009-10-20 19:13 | Chinese

たしかなことは

昨日の朝、ひとつの訃報がありました。
私の幼い頃、よく遊んでくれた近所のおねえさんだった方。
ひとり娘のお嬢さんはどんなに悲しかったことか、
お通夜の間中、うつむいたままタオルハンカチで目をぬぐっていました。

そして帰ってきてから知った加藤和彦氏の訃報。
実は二年前になくなった、娘さんの父親も自死だったのです。
その悲しみにつづいて今回の母親との別れ、
残されたひとり娘ちゃんの胸の痛みははかりしれません。
うつむいたままの横顔がいたいたしくてたまりませんでした。

自らの命をたったお父さんは、それは穏やかな方でした。
地域のゴミゼロの日にも病気がちの奥さんの代わりに掃除に出て
いつも穏やかな笑顔。
その時に交わしたひとこと二言、その声もまだ耳に残っています。
どこにそんな心の重石をもっていたのだろうというような穏やかであたたかな声でした。
最期は山の見えるふるさとへひとり車を走らせたとか。
家で最期をむかえなかったことは、妻やひとり娘への心くばりだったのでしょうか、
それとも故郷の懐かしい景色をみていきたかったのか。
奥さんはからだの弱い自分のせいだと自らを責めたかもしれないけれど
それも今となっては誰もわからないこと。

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加藤氏がザ・フォーク・クルセダーズ時代に歌った「悲しくてやりきれない」
この曲は当時発売中止になった「イムジン河」をもとにできた曲だとか、
「イムジン河」は原作がある曲ですが
どちらのメロディーも哀調をおびた美しいメロディーで心にしみます。

なぜか重なったふたつの訃報。
ここで自殺の是非を話しても虚しいばかりだし、その心の闇は誰にもわからない。
ただひとつだけ確かなことは、
残された人の心の傷は深いだろうということと、
愛されてきたメロディーはきっとずっと口ずさまれていくだろうということ。
帰って来たヨッパライも、あの素晴しい愛をもう一度も。



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by kisaragi87 | 2009-10-18 22:01 | 日々雑感

夢再生機 

昔からよく不思議な夢をみます。
奇想天外な物語ともいえるようなその筋書きもさることながら
風景や建物もなんともいえないような独特の雰囲気があります。

もちろんその時々で違うけれど
あえてどんな感じというのなら、
スペインに今も建設中のサグラダ・ファミリアみたいな。
あるいはイタリアのフィレンツェを流れるアルノ川に架かるヴェッキオ橋のような。
そしていちばんイメージと近いのが、千と千尋の神隠しに出てくる湯屋。
この物語にでてくる風景やストーリーが
たぶん私の見る夢のイメージにいちばん近いような気がします。





最近はイメージの貧困か、こんな夢をみるのも稀になりましたが
以前よくこんな風景が舞台の摩訶不思議な夢をみたあとは
このyoutubeのように
頭の中の夢が映像化できる機械があったらいいのにな~と思ったものです。

そんな夢のような夢再生機。
もしかしたら将来は夢じゃないのかもしれいけれど。
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by kisaragi87 | 2009-10-14 19:04 |

最後だとわかっていたなら

つい先日のこと、あるひとつの歌にであいました。
歌っていたのは、元パリコレモデルの秀香という人。
ああ、そういえば何となく記憶にあるなあ・・

秀香さんが歌い始めたのは50歳の時だったそうで、
若い子では歌えない、人生経験を重ねた人だからこそ歌えるシャンソンに惹かれ、
モデル引退後に歌の道に挑戦し
そしてそれから9年の今年、「最後だとわかっていたなら」でデビューしたそうです。

この「最後だとわかっていたなら」は
アメリカの9.11テロをきっかけに世界中に広まった詩だそうですが
もともとの原詩は子供を失った母親が作ったものだとか。
ちょうどトックンが一青窈の歌うハナミズキの歌詞は
9.11の時に作られた歌だったのだということを記事にしてくださり、
私も『最後だとわかっていたなら』を知ったばかりのときだったので
9.11つながりの偶然におどろき、ここに紹介しようと思います。
秀香さんの歌詞は少し歌いやすいように省略があるので
ここでは原作で。



「最後だとわかっていたなら」

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

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最初にこの歌をきいたとき、私はいちばんに父のことを思い浮かべ、
ああ、これだったんだと納得しました。
知らず知らずに父と宵越しの喧嘩をしなくなったのは
たぶん父の明日が約束されたものではないことを
父の年齢を慮って少しずつ私が感じていたのかもしれないなあと。

しかしこの詩が愛する我が子のことを想って書かれた詩であるように
そして詩にも書かれているように
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということ
今日が最後になるかもしれないということも事実なのです。

私が時々お手伝いをさせてもらっている地元の幼稚園で
同じように手伝いの仕事をされている小さなお寺のご住職がいらっしゃいます。
その方が夏の暑気払いの時に話してくれた話がありました。

そのお寺では地域の青年団が月に何度か活動をしているのですが
そこに所属していたある青年がこの春に事故でなくなったそうなのです。
その日も朝早くから起きてでかける息子に
お母さんもいつもなら起きてお弁当を作ってあげるのに
その日にかぎって起きられず、
母親がつかれきっていることを息子もわかっていたのでしょう、
黙ってでかけ
その気配を感じながらも、寝床の中からごめんと見送ったそうなのです。

その直後に息子さんは帰らぬ人となってしまいました。
それ以来なぜ起きてお弁当を持たせてやらなかったのだろう、
せめて起きて行ってらっしゃい気をつけてと言ってやればよかったと
お母さんは悔やみ、
それからというもの、お寺の青年団の活動がある日は
必ず人数分のお弁当を作って持ってきてくれるのだそうです。
なんて哀しい運命だったのだろうと、
この時もお母さんが悪いわけじゃない、
だけどお母さんにしたら、どんなにその朝にかえって
息子のために起き、お弁当を作り、行ってらっしゃいと言ってあげたかったことか。

あたりまえのように繰り返されている日々のこと
いつも笑顔で家族に接していられるわけもなく
小言を言ったり、手を抜いたり、
それはあたりまえに誰しもあること。
だけど時々こんなことも思い出すと少し違った気持ちですごせるような気がします。

何度も同じことでかかってくる父の夜の電話にも
さっきも言ったじゃない。
そう返す言葉はなかなか飲み込めないけれど、
たいがい家族の帰る時間や予定のことなので、
受話器を置く前だけは、ありがとう、心配しないでね、おやすみと言えるようになりました。

極楽トンボの息子にも、いいかげんなところが目に付いて
ついつい出がけの小言が多くなるのだけど
行ってらっしゃい、気をつけてねだけは忘れないように。

きれいごとじゃなくていい、
たぶんこれは自分が後悔したくないため、心残りを作らないためなのだけど、
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを思ったとき、
送り出すときと眠る前くらいはせめておだやかに、と思います。

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これは自分に言いきかせている言葉、
母の時のことを思ってみても、後悔なくして見送るなんてたぶん無理なんです。
でも最近の父への気持ちを振り返ってみると
書くことの効用はとても大きいと実感することも多くて。
だからあえてここに書いておこうと思いました。
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by kisaragi87 | 2009-10-14 18:47 | 日々雑感

海老づくし

三連休もあっという間に終わりました。
昨日は午前中に近くのショッピングモールに入っているユニクロで
家族の普段着を数枚購入し、午後は夏物と冬ものの入れ替え。
もう着ないなあというものを数枚市のリサイクルへ出そうと思うので
買ったものと、処分するもので、差し引きゼロという感じ、
物ってなかなか減らないものなのですね。
で、この洋服の入れ替えの時って、くしゃみが出てしかたないんです、
なんか、ほこりが舞うのでしょうね、にわか花粉症みたいになっていました^^;

そんな連休、ハナミズキの移植おつかれさまで、父をよんで夕食をしようと思っていたら
ちょうどいい具合に海老が届きました。
父が少し前に目を傷めたときに、いろいろ面倒かけたからと、
通販で頼んでおいてくれたもの。
実はこれ、頼んですぐに父からきいていたのですが
その時は蟹ときいた記憶が・・
そのまま蟹、蟹~♪
と思い込んでいたので、海老~?
さっそく父にそのことを言うと
いや、最初から海老と言った、おまえの勘違いだと。
その言い方にむくむくと反抗心がわいてきたのだけど、
父が間違っていると決め付けている自分に気づきました、
そそっかしいのはいつものこと、
もしかしたら海老より好物の蟹と思い込んだのは私かも・・
発想の転換という新手法でなんとか衝突の危機を切り抜けました。
しかし喧嘩より食い気とはいったものの
海老ももちろん好きだけど、どちらかというと蟹のほうが好き、
すっかり蟹だと思い込んでいたので、ちょっと残念。
それも解凍すればすぐに食べられるときいていたので
蟹は食べるのみと喜んでいたのに
ブラックタイガーは料理しなくちゃ食べられない・・計算が違ってきました。

海老だと、どうする?
エビフライ、天ぷら・・
しかしこうなったらせっかく作るんだから変わったのがいいなあと
検索でみつけたのが、柚子入り海老団子入り鍋、
海老をミンチにして、そこに柚子の皮のすりおろしを入れるというもの、
香りがよくて美味しいとか。

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手元に秋刀魚の塩焼きに使ったスダチがあったので
急遽代役をしてもらって、スダチ入り海老団子となりました。
海老のミンチに小麦粉と片栗粉少々、後はお酒に塩少々で最後にすりおろしたスダチの皮をまぜまぜ。
緑の皮が見えるでしょう、スダチ二つ分入ってます。

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お鍋の湯気にレンズがくもって
何度目かで撮れた写真。
フードプロセッサで荒引きにすると、海老のプリプリも残って美味しい♪
スダチの香りがさわやかで、家族みんなに大好評でした。





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そして残った海老はエビチリ~
これはCook Doに助けてもらったけれど、低い温度でゆっくり炒めると海老の食感がたまらなくプリプリです。あっと言う間に売り切れてしまいました。
こんなに贅沢に海老を使いきったのは初めてのこと、という海老づくしでした^^

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おまけが、このあいだ作った松茸ご飯、
ちゃんとした形の松茸が一度食べたいという息子どんの願いを叶えてやろうと、たまたま上野のアメ横でみつけたのが一箱5本入りで1000円のカナダ産松茸。
姿焼き?よりご飯ということで、松茸ご飯になりました。
香り松茸、味しめじとはいうものの、この食感もなかなかのもの。まあ、国産には劣るのだろうけど、やっぱり秋の香り、秋の味です♪

しかしそういう私
子供の頃はキノコ類が親の仇かというほど苦手でした。
今はシイタケの丸焼きもペロッといけるし、大好物だけど
松茸の美味しさがわかったのは、大人になって初めてであった土瓶蒸し。
今は嫌いなものはときかれたら首をかしげてしまうくらい何でも好きになったけど
小さな頃は牛乳もチーズも大の苦手。
好き嫌いってどうしたらできて、
またどうしてなおってくんだろうとちょっと不思議に思う秋の宵でした。
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by kisaragi87 | 2009-10-13 05:57 | おいしい