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恐竜のいる街

先日職場から連絡が入り、
1月半ば過ぎには出勤してもらいますと言われていた予定が延びました。
職場の都合で平常の勤務は3月からに変更、2月は数日の出勤のみで
冬休みが春休みになってしまいそうです。
今年は早めに仕事があると皮算用してたのにとほほのほ。
例年冬場だけのアルバイトをしてる職場の同僚も
その仕事を断わって待機してたのに~と嘆いていたけれど、
こればかりはこちらの意のままにはなりません。

とはいうものの休みはいいなあと思うのもほんとのところ、
しかし気がつけば読書や料理の日々でからだを動かす機会が減っています。
家のすぐ近くがスーパーなので、買い物に歩くこともありません。
これはいけないよな~と、
たまには遠くのスーパーまで足をのばしています。
そんな時ひさしぶりに通った景色がすっかり様変わりしている場所がありました。

ここは大きなお酢の工場があったところ
昔からここを通るとお酢の匂いがプ~ンとしてきました。
周辺からの苦情もあって改善を重ねたのでしょう、かなりその匂いは減っていたけれど
街の変化にともなって工場の居場所はだんだんなくなってきています。
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わが町はもともと田畑が大きく広がる場所だったのですが
その田畑をつぶして東京の近隣という利便性から工場や倉庫が次々と建てられました。
そしてまた時代の流れで工場や倉庫はもっと郊外へと移転があいつぎ
足の便の良さのためその跡地にマンションが次々と建設されるようになったのです。
人口も増え続けています。
ここも、もうちょっと景気のましな頃にもちあがった計画だったのだと思われ
引き返すわけないはいかないと工事は進んでいるのでしょう。
それでもけっこう部屋も埋まっていきそうな様子もあり、
価格と利便性のバランスがちょうどいい場所なのだろうと思います。

ここにあった工場では夏には近隣の住民を集めてのお祭りもありました。
会社の製品を景品でくばったり、盆踊りや出店もでたり
私も子ども達を連れてでかけたものです。
近くの主婦もパートでたくさん働いていて、地域と共存している工場でした。
この工場がなくなってしまうときいた時に
一抹の寂しさを感じた人はけして少なくないと思います。
今となってはあのお酢の匂いもなんだか懐かしくなってしまうのです。

ぼーっと見ていると大きな恐竜がいっぱいいる太古の平原のように見えなくもない。
そんなひろーい敷地にいくつもの重機が作業をしていました。
まだまだ恐竜があちこちで活躍しそうな私の街です。
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by kisaragi87 | 2010-01-29 10:39 | 日々雑感

母を送った日のことなど

映画「おくりびと」の記事が友達のところにあり、
そこにコメントしながら、母のなくなった時のことを思い返していました。
母のなくなった時のことはよく憶えているのだけど
納棺の時のことが抜け落ちていますと書いたけれど
よくよく記憶をたどると、かなりの部分忘れておぼろになっていることがわかります。
おくりびと、心にしみるとてもいい作品ですが
ここでは映画の感想ではなく、
これからもっと曖昧に形を変えていくのかもしれない母を送った日のことを
思い出すままに書いてみました。

入院してたった4日で逝ってしまった母の死の時は
物心両面で何の準備も心構えもできていませんでした。
ぽっかりと深い穴のあいたような心は、今目の前でしなくてはならないことに追われ、
最期の時に母にすがって泣いてからは涙もピタと栓をされたようにとまり、
母の死を実感して悲しむゆとりすらありませんでした。

近所の人や職場の仲間が次々と訪れる仮通夜の夜、
亡骸となった母はとっても遠くにいるようだったけど、
布団の中にはまだほのかなぬくもりが残り、
少しずつ冷たくなっていく体温を何度か確かめるために
そっと母の寝巻きごしに布団に手を入れた記憶があります。
母の顔のそばに添い寝のように顔をよせてみたと思ったのは
後付の記憶なのかわかりません。

母をみて、みんなはきれいな顔と言ってくれたけど
少し半開きになってしまったままの口元がどうしても納得できず
こんなんじゃないと、母が可哀想になり、
この口元がなんとかならないものかと、何度も思ったような気がします。
そこにいる亡骸はもう私に笑いかけてもくれなければ抱いてもくれず
どんどん固く冷たくなって、ますます私から遠ざかっていくようでした。

あらかた訪れた人が帰ったあとは
母の親友のおばさんが母のそばに敷いた布団に一緒に入って寝てくれました。
父がどこにいたのか、祖母がどうしていたのか、
叔父や叔母が残っていてくれたのか、思い出せず
なぜかその親友だったおばさんと一緒に寝たことだけをおぼえています。

翌日はお寺での通夜のため午後に車で母を運ぶ手はずができていたはず。
私は喪服も持っていなかったので葬儀の時は着物を借りるように叔母に言われたけれど
それまでの移動や帰り用にと喪服がいるということになりました。
母か叔母のものでもよかったろうに
なぜかその忙しい最中、池袋のデパートまで買いに行ったのです。
それというのも私の親友絹ちゃんが従姉妹がデパートにいるから
喪服も安く買えるはずと付き添ってくれると言い、
それならと父や叔母が行ってきなさいと言ったのだったと思います。

絹ちゃんと電車の一番後ろの車両にのって窓から線路を見たような気がします。
絹ちゃんが色んな話をして慰めてくれたような気もします。

急いで帰ってくると叔母が中から
待ってたのよ!もうお棺をとじちゃうから、急いでと玄関に走ってきました。
そう言われて、ワッとこの時だけ泣きました。
もう冷たい亡骸となった母はそこにいるわけじゃないのを百も承知なのに、
だめ、行っちゃだめ。
そんな身も世もない気持ちになって泣きました。
たぶんそれが初七日までにただ一度泣いた時だったと思います。

ここの記憶をたどってみると
結局私は納棺の時に、そこにはいなかったのじゃないかということ。
デパートから帰ったときは、母はすでにお棺におさまっており、
あとは蓋を閉じるばかりになっていたと思うのです。
要するに映画おくりびとで一番心をこめてするひとつひとつの手順のところは
喪服を買いに行っていた私は飛ばしてしまっているのです。

お寺についてからは、遠くの親族も訪れ
母のお客さんやら、仕事関係の方々、
それは大勢の方と一緒の式となり、私は気を張るばかりで
涙ひとつこぼれませんでした。
気を張っているからだとわかってはいても
母の葬儀に涙もこぼれないそんな自分をとても悲しく思いました。

火葬場のことは憶えていません。
東京タワーが小さく見えるお寺から、また車で移動し、
たぶん目黒にあった火葬場だったように思います。
もう煙になってしまった母に、
亡骸がそこにないことにかえって安堵したような気もしますが
その時の心情はおぼろです。
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それよりも印象に強く残っているのはお骨になった母をもって
父と一緒に家路についた車の中のこと。
高級なハイヤーだったのか、その車はベンツでした。
なんでそんな車に乗ったのか、
そして祖母がどうしていなかったのかはまったく記憶にないのだけど
生まれて初めて乗るベンツの乗心地の良さは夢のようでした。

首都高をすべるように走るベンツに乗りながら私は遺影を抱いていました。
隣にはお骨を抱いた父。
あまりの座席シートの居心地のよさに、
このままずっと、どこまでもどこまでもこの車に乗っていられたらいいのにと思いました。
父と母のお骨と私。
疲れも手伝ってか、そのままシートに沈んでいってしまいたいほど心地よかったこと、
ただそれだけをくっきりとおぼえています。
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by kisaragi87 | 2010-01-27 11:20 | 思い出ぽろり

賛美歌の中の恋

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母が大切にしていた讃美歌集
友達からクリスマスに贈られたという宝物。
以前にも記事にしたことがあったけど、色あせたブックカバーが過ぎた年月を物語っているようです。

この母の宝物の中に、実はもうひとつ宝物が入っていたのです。
数枚の写真と、小さな走り書き。
私がまだ10代の頃、この写真の人は誰?と訊いた記憶があります。
戦争に行ってしまった昔の友達よ。
そう答えた母。

当時の私はそれで納得したのでしょうが、
母がなくなり、しまったままにしてあった写真をふたたび見た時、
それは特別な写真なのだとはっきりわかりました。

信子とはいみじくつけし・・・

母の名前で始まる言葉は、一編の詩のよう。
そして写真の裏には

とうとう写した僕の初めての写真です。

そう書かれてあります。
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この人は戦争から帰ってこられたのだろうか、
もしそうなら母の人生の選択は変わっていたのだろうか。
まだ二十歳前の身も心もやわらかな乙女だった頃の母を想ってみます。
歌集にはさまれたままだったその写真を
ひとり開いてみる時もあったのかもしれません。
青年ははじめての写真に少し緊張したように背筋を伸ばして立っています。

ここを父が開くことはないと思ったのかな、
讃美歌集にはさんだ母が、愛おしく微笑ましく思えました。
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by kisaragi87 | 2010-01-25 07:38 | 思い出ぽろり

瞬間

まるで黄金にかがやくイグアスの滝のように見えた。
なだれ落ちる膨大な水が夕暮れの空にあらわれた瞬間。

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by kisaragi87 | 2010-01-22 17:41 | 日々雑感

さくら

ぽかぽかあたたかな大寒、
まるちゃんと、ぽかぽか歩いた。

とある城下町、
最後の城主だったというお方の旧邸、堀田邸。
gigiさんから最初にきいた時、掘っ立て?と聞き返したというまるちゃん(笑)
いえいえ、けして掘っ立てじゃありません、お庭の広い立派なお屋敷でした。
縁側のおざぶもぽっかぽか。
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いつもは準備万端のまるちゃんだけど
たまには足の向くままもいいねと、ほんとうに気ままなお散歩。
グッドタイミングのバスに飛び乗り、地図を広げて
おっと、ここで降りるといいかも。
ほいきた、ピンポーン。
降りた目の前にあった、ちょっとそそられる店構えにチラと中をのぞくと、
談笑中のおじさん達と目が合う。
いらっしゃい、今日はお蕎麦の日よ、ほらほらと目くばせ、手招き。
ふたりで顔を見合わせ、うふふのおほほ。
暢気なのんちゃんの二人だから、曖昧に笑い返すが
おじさん達のおだやかなアタックは続く。

時はちょうどお昼時、そろそろお腹もグーの時間、
それならとお昼はここに決定。
迷い込んだのは 『手づくり工房さくら』 の商い処。
予想外の展開ながら、話をきくとこちらはお蕎麦屋さんというわけではなく、
ふだんは地元の手作り品を売ったり、寄り合いに場所を提供したりしてるとろこのようで、
お蕎麦を出すのも毎週水曜日と地元の七福神の日だけとか。
手打ちで野菜の天ぷらもその時々のもの、
売り切れ次第おしまいの、まさに最後の二食でした。
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二階もあるので、よかったらどうぞと。
どこかのお宅におじゃましたようなホッと空間。
お座敷は貸し切り二人だけのランチタイムとなりました。
ひだまりがあたたか、お蕎麦も美味なり。
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後半は武家屋敷をめぐり、城址公園をめざします。
地図を片手にぐるぐるぐるぐる・・
ぐるぐる・・・ん?
途中新聞配達のおじさんと、散歩中のおじさんに道を丁寧に教えていただきました。
新聞配達のおじさんに、どこから来たの?と訊ねられ
まるちゃん、小さな声で地元です(笑)
えっと、実はちょっと離れています、
でもって、このあたりお城のわまり、武家屋敷の立ち並ぶ界隈のせいか、
道がひじょうにわかりにくい、
敵にいっきに攻められないようにT字路、鍵道、迷路?あり。
という言い訳を一応しておくとしましょう。

ここは春の桜がほんとうにみごとなの。
公園に向かう道、まるちゃんが言います。
終着点でお茶とケーキ、向かいの公園の桜の話もしてくれました。
私もガラス越しの冬木立をみながら春の桜吹雪を思い浮かべてみます。
あ、これはさするべり(笑)
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帰り道、
一年って早いね。
そうね、でもそう言いながら春をやっぱり待ち遠しく思うのよ。
今年はどこの桜を見に行こうかなあ。
そうだ、あの桜を見てみたい。

大寒の日、ふたりでぽかぽか歩いた、ここは佐倉。
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by kisaragi87 | 2010-01-21 10:20 | 旅・散策

古い顔した新顔登場

わが家にずっと眠っていたストーブがひとつありました。
昔ながらの電源を必要としない石油ストーブ。
あれはちょうど10年前の暮れ、2000年問題というのがあり、
噂が噂をよび、電気が使えなくなるかもしれないということで、
万一のことを考えて義母の暖をとるためにと昔ながらのストーブをひとつ買ってあったのです。
実はストーブを買ったもうひとつの目的は災害時用
電気が使えなくなった時に、
暖をとったり煮炊きをしたりできるようにとの心づもりもありました。
結局2000年わが家には何事も起きず、災害時にということもなく、
その後もファンヒーターの使い勝手のよさと安全性も考え使わずにしまったままになっていました。

そんな一昨日地元の仲良し4人で新年会がありました。
年に二回新年会と暑気払い、決まって二度会っておしゃべりをします。
その中のひとりが、昔ながらのストーブを使っていて
そりゃ重宝してると話してくれたのです。
朝一番からストーブの上でお湯をわかし、コトコトお鍋をかけて豆を煮たり
おでんを作ったり。
夕方も火にかけたお湯で洗物をすることなど、
話をききながら私の子供のころもそうだったなあと懐かしく思い出しました。

実はうちにもあるのよと話すと
ぜったいいいから使ってみてよ、
昔と違って今はスイッチひとつで着くし、対震消火もついてるはずだよとのこと。
ガス代だって節約になるし煮込み料理にはもってこいよの言葉にひかれ
そうかそうかと、がぜんその気に。
で、昨日出してみました。
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なんだかいい感じ♪
写真の場所はテレビに近すぎるのでちょっと移動しましたが
暖かそうな赤い火は見えるし
のせたやかんもすぐにシュンシュンいいだします。

点火時の暖かさの立ち上がりがファンヒーターより遅いのと
ちょっとその時の匂いが気になるといえばなるけれど
ゆうべ一晩使ってみてその穏やかな暖かさにすっかり虜になってしまいました。
夫もいいねいいねと絶賛。
ファンヒーターのように風が起きないせいか静かで包むようなやさしい温かさです。
さっそく晩御飯にと三平汁を作りました。
お鍋をかける時はそばは離れないようにしなければだけど
時々鍋をのぞいてはにんまり。
遠火の穏やかな熱のせいか鮭からじっくり塩味が出て、男爵も煮崩れません。
空焚きと焦げ付き注意だけど、冬のお楽しみ料理ができそうな感じがしてきました。
日当たりがいいわが家、ふだんも朝晩しか暖房はしないけど
しばらく石油ファンヒーターと昔ながらの石油ストーブと両刀遣いでいってみようかと
そんなことを考えています。
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by kisaragi87 | 2010-01-17 07:50 | 日々雑感

大学合格芋

今日と明日は早いもので大学のセンター試験です。
一年前を思い出すとこの日の緊張は子どものみならず
親にも大変なものでした。

この大学いものお店、
娘の大学受験の時に初めて買いに行った合格のご利益があるといわれるお店。
げんかつぎなのは百も承知だけど、できることなら何でもとの気持ちで買いに行きました。
用事を済ませて行ってみた夕暮れ時、ちょうど店じまいの仕度をしていました。
きっと売り切れしだい閉めてしまうのでしょう。
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急いで駆け込みながら、すみません、大学芋をひとつくださいと言うと
「申し訳ないのですが今日の分は売り切れなんですよ」との返事。
がっかりしながら、うなだれると、
受験生さんがいるのですか?との問いかけ
はい、もうじきセンター試験で、少し遠いからもう来られないかもしれないんです、と私。

すると、店の奥から包みをひとつ持ってきて
「これは友達の居酒屋さんへ持っていく分だったのだけど、もしよかったらどうぞ」
と、たったひとつだけとってあった大学芋をゆずってくださったのです。
天にも昇らんほど嬉しかったあの時の気持ちは忘れられません。
そしてお礼を言って、すべり込みセーフで買ってきた大学いも。
その好意が届いたのかどうか
娘も無事後期試験ですべりこむことができました。
そんな折り紙つきのお芋さん、もちろん息子の時も買いに走りました。
この写真はその時に撮ってきたもので
昨年はもうひとつのブログにアップしていました。

今年もこの季節がめぐりきて
息子の仲良しもおおぜい今日と明日の試験に臨んでいます。
今朝も職場の友達からメールで
一年間がんばった成果が出てくれるといいのだけど、
私は何もしてあげられませんとありました。
ブログのお友達のところも何人か今日の日を迎えているはず。

この運のいいお芋やさんの写真をアップ。
どうぞ持っている力をじゅうぶん発揮できますように。
桜咲きますように。
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by kisaragi87 | 2010-01-16 18:14 | 日々雑感

ささやかな偶然

昨日の朝刊を読んでいたとき、
ひとつの興味をそそられる記事がありました。
フランスの映画監督エリック・ロメール監督を悼むという記事。

長編24本、すべて脚本は監督自身が書いたものだというのです。
「全米批評家賞」の脚本賞を受賞したという「モード家の一夜」に出演した
ジャン=ルイ・トランティニャンは、
台詞の緻密さに驚いたこと、文学作品を思わせる台詞にもかかわらず
声に出してみると実に滑らかで
俳優にとっては快感以外の何ものでもなかったと言っているそうなのです。
とはいえ、ただ言葉に頼りきったものではなく、
紫陽花の花の彩りや、日没の瞬間など
見ることの愉悦と驚きにもあふれていると書かれています。

後半は遺作となった「我が至上の愛」という作品の解説、
私はまったく予備知識のない方だったのだけど
どんな作品なのだうと興味がわいてきました。
少し調べてみると、この作品の中で健康的な魅力あふれる女性アストレを演じるのは
ベルギーの作家マルグリット・ユルスナールを大叔母に持つ
ステファニー・クレイヤンクールが大抜擢されたとあったのです。
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ここにユルスナールという名前がでてきてはっとしました。
それというのも今村上春樹の単行本と並行して読んでいるのが
まるちゃんの大好きな大切な一冊ときいた「ユルスナールの靴」。
まるちゃんの記事を読んで、どんなことが書かれているのか知りたくなり
つい先日読み始めたばかり。
前記事で出てきた手紙も同じだけど
何か見えない糸に導かれて、興味をもった映画と、興味をもった本が
細い糸でつながっているように思えました。
思わぬところでの思いがけないつながり、
そんな日常のささやかな偶然が、ちょっとうれしい気持ちにさせてくれたりします。
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by kisaragi87 | 2010-01-16 18:12 | 日々雑感

情けないラブレター

年明けから今まで聞き流してばかりだったNHKのラジオ講座「まいにち中国語」を
テキストを買って始めてみています。
うっかりきき忘れもあるけど、一日に二度の再放送もあるので、そこは気楽に考えて。

で、今までのまとめを何かノートにとリビングの引き出しをごそごそしたら古い便箋がひとつ。
そっか、年末の畳替えのときに和室の本棚を整理したとき出てきた便箋、
昔のノート類にまざって出てきたのだけど
メモにしてもとリビングの引き出しに入れておいたものでした。
これでもいいやとパラパラめくると
暮れにはバタバタしていたせいかぜんぜん気づかずにいたのに
最後のところに三枚だけ何か書かれていたのです。
読んでびっくり。

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それはちょうど就職が決まったばかりの二十歳の時、
まだ正式入社前の職場の小さな部屋で留守番をしながら書かれた手紙でした。
日付は2月21日、午後5時35分とあります。

私の就職先は年若い社長がひとりで小さな出版社を立ち上げるに際して
スタート当時、たったひとりの社員として採用されたところ。
当時のことは今までにも何度か書いてきたのですが
読み返してみると、それは楽しかった思い出ばかり。
ところが手紙を読むと就職当時の複雑な気持ちが書かれ
ずいぶん忘れていたことがあったのだと気づかされます。

手紙は専門学校当時付き合っていたボーイフレンド宛てのもの、
彼はまだ大学生で
先に社会人になってしまう私と微妙にすれ違いが出てきた頃でした。
書かれている文面からは、
都会の中の忘れられそうな小さな4畳半にひとり留守番している寂しさとともに、
こんな場所で社会に取り残されていってしまうかもしれないという不安や、
ほんとうにここに就職しても大丈夫なのだろうかという迷いが感じられます。
そして何よりしばらく会えていない不満が綴られ
卒業制作のことや、もうじき卒業式だとか、
就職祝いをくれる約束だったよねなどと、とりとめもなく続きます。

それにしてもなんとも色気のない手紙。
私が男の子だったら、途中で読むのをやめてしまうかもしれないような代物で、
まだ恋とも呼べないようなそんな頃に、
でも恋しくて不安で書いた手紙はあまりに情けないものでした。
もちろんこれは下書きだと思われ、
たぶん机にあった仕事用の便箋に暇をもてまして書いたものなのでしょう。
そんな様子は乱暴な筆跡からもわかるのですが
逆に思いのままにいっきに書いたようにも読み取れます。
結局この手紙は可愛い便箋にでも清書して出したのか、
それとも出さないままお蔵入りとなったのかまったく記憶にありません。
やがて春からは正式に社会人となり覚えなくてはならないことに追われる日々が始まり
いつしかその人とも自然消滅してしまいました。
いずれにしてもこんな辛気臭いラブレターじゃ、なんの役にも立たなかったでしょう。

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ちょうど成人式もあったりで、
自分の二十歳の頃のことを何か書いてみようかとあれこれ記憶をたぐっていた矢先。
あまりに偶然にも出てきたその手紙を見た時は少しぞくっとしました。
憶えているようで忘れていた二十歳の日々、
何かがこの手紙に私を呼び寄せてくれたような気もします。
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by kisaragi87 | 2010-01-13 18:55 | 思い出ぽろり

蜜柑山の家

昨日は夫の母方の伯父の三回忌で、またまた小田原まで。
無事法事を終え、
お茶でもと従姉妹の実家へ行きました。

いつもお米を送ってもらう従姉妹の実家へ来たのは
去年田植えが終わって稲が青々とゆれる紫陽花祭りに来て以来。
あの頃足を痛めて介助されて歩くのがやっとだった伯母も
ひとりで歩けるようになるまで快復していてほっとしました。
ただ入れ替わりに義母の生家のある少し山に入ったところにいる叔父夫婦が
二人ともからだをこわし、老夫婦だけの生活がおぼつかなくなり、
当座の手立てで二人して老健に入っていました。

話は自然とそのことになり、
山の家は今は空き家になっていること、
そこに帰ることのできる見込みはないこと。
裏山にあるお墓は竹やぶになってしまい、素人にはその竹をどうずることもできず
誰も手をつけられない状態なのだそうです。
離れたところに嫁いでしまった三姉妹も、交代で老健に通うのがやっと。
従兄弟総出で山に行ってどうなるかと検討するも、
山の境界すらわかるものはおらず、平面図をみてもお手上げなのだそうです。

義母の生まれた里はすぐ裏が山になっており、
男の子達はそれぞれ分けて山をもらったそうです。
そこを本家にあたる叔父が面倒をみてきました。
かつては蜜柑がたわわに生ったこともあったそうですが、
山をもらったそれぞれが今はその山を持て余しているそうなのです。
これは何も叔父達の家にかぎったことではなく
そのあたり一帯は駅からも遠くて足の便がすこぶる悪く、
くねくねと山道を行くには車を使うしかなくて、
家々もそんな山道沿いにはりつくように建っています。
そのため後継者がなかなかいなくて、どこも同じような状況のところばかりだとか。
ご先祖さまたちもそんなことになろうとは、思っていなかったでしょうに。

従姉妹の田んぼに行くたびに必ず母の里にも寄って
叔母に会い、お仏壇にお線香をあげてくるのが恒例になっていました。
生まれてすぐに母親がなくなってから親戚に養女に出されていた義母でしたが
娘時代はここですごした時期もあったとか。
二階にあがると、細い廊下に面して当時のままの部屋が並んでいます。
お母さんがいたのはこの部屋よと叔母がおしえてくれたのは
そんなに前のことではありません。
家というのは不思議なもので、住む人がいなくなると
急に傷みがが出てくるということもききます。
今は住む人のなくなってしまったその家もそうなっていくのでしょうか。
建ってから80年近く経つ家がこうしてあるほうが不思議なのかな。

私が男だったら、山のひとつももらえたかもしれないのにね、
そうしたらみんなに蜜柑をいっぱい食べさせてあげられたのに、
と笑いながら言っていた義母。
あの子達も蜜柑のひとつも送ってくれればいいものをと、
弟達から送られてこない蜜柑に愚痴を言うこともありました。
今思えばとっくに蜜柑は作れなくなっていたのでしょう、
とても酸っぱいその地の蜜柑を義母はとても愛していました。


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by kisaragi87 | 2010-01-11 16:04 | 日々雑感