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入り日色の記憶

木枯らし一号の吹いた日に、母との思い出をさがしに歩いてきました。
この日は早朝から家の用事でいったん東京まで出ていたので
また出直すのが億劫でもあったのですが、
先日書いたヘリオトロープの香りという記事の時に、
母の仕事について歩いていた時、サトウハチローの家もあったのですよ、
母にここがサトウハチローの家よと教えられましたとレスで書いたときから
どうしてもその地にたってみたいと思いはじめていました。

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保険の外交の仕事をしていた母がよく歩いたところは本郷弥生町周辺。
東大出版会にもお客様がいて、東大の構内もよく歩きました。
その時に母とひと休みして遊んだのが三四郎池でした。

子ども心にも、このあたりの雰囲気が好きで
年に数回一緒に仕事についていくのは、私の楽しみでした。

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東大の中も、まだ当時のまま残されている古い校舎も多く、
40年前と変わらぬそこに立つと、鮮明に記憶が甦ってきます。
繁みをぬけて降り立った三四郎池のほとりには、まだ大きな石が池にせりだし
そこに幼い私と母をおいても、なんの不思議もないように見えました。

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私はここで母のやさしい思い出をたくさん書いてきました。
なぜそんなことにこだわって書いているのだろうと、時々思います。


こんなふうに、小さな私と母の思い出を書いていると、
文字にして再現してみると
自分の見えないアルバムのページが増えていくような気がします、
なぜかとても母追いをする子どもでした。
家族からの愛情はいっぱいだったけれどいつも何か不安を感じていたのかもしれない。
だからこそ、優しかった時間をここに書いて心の写真を貼り付けているのかな。



この言葉も、その時にレスに書かせていただいたのですが
きっとこんな気持ちをいつも持ちながら書いてきたようにも思うのです。

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正直言って、思い出したくないこともいっぱいあります。
うんと小さな頃からよく夕暮れ泣きをする子どもでした。
思春期をむかえた10代の頃もいつも夕暮れになると心細くなりました。
母はいつか祖母を連れて家でるだろう、私をおいていくだろうと思っていました。
父と祖母が諍いをしないよう細心の心くばりをしながらむかえる夜、
母を待ちながら、早く帰ってきてと泣きたい気持ちをこらえながら過す日々。
でも、それよりも怖かったのは
そんな日々にピリオドを打つために母がいつかいなくなる不安でした。


母は祖母の実子ではありません。
だからこそ女手ひとつで育ててくれた母親だけは、
なんとしても守らなければと決めていたようで
父と別れることはあっても、母親は守らねばと思っているのが幼い私にもよくわかりました。

時々諍いがあった夜、そんな本音が見え隠れする母に
泣きながら、
ここにいようね、みんなで一緒にいようねと言う私から母は目をそらしました。
どこか遠いところをみながら私を拒み
「あなたはお父さんとここに残りなさい」と言いました。
泣きすがっても、好きな歌をくちずさむ、いつもの母はいませんでした。
ここだけは自分を守ってくれると思うふところに拒絶される心細さ。
それでも借金を背負った父を見限ることもできない母、
互いを愛おしいと思い求める気持ちと、
この現状を捨て去りたい気持ちの交錯する両親をみながら私の心もゆれました。




東大の弥生門を出て、サトウハチローの家をさがします、
電柱の番地を見ながら、少し近づいたと思うのですが
またかわされるように番地がとびます。
おかしいなあ・・

ちょうど犬の散歩で通りがかった老婦人に訊ねました。
すぐに笑顔で
「そこならこの農学部の校舎をはさんだ向こう側だわ、少しわかりずらいけれど」
そう言いながら、ていねいに道順を教えてくださいました。

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まるで、昔へタイムスリップするかのように暗くて細い道を抜けると、
さがしていた場所はそこにありました。
少し調べていたので、もうそこにかつての家はないこともきいていたのですが
やはり私が母と見た家はありませんでした。

私のはるか遠い記憶の中では、
そこは少し洋館風の小さな三角屋根に丸いはめこみ窓がついていた家
高い塀越しにはその窓しか見えず、母とてをつなぎながら
「ここがサトウハチローの家よ」と教えられました。
最初にそのことを母からきいたときは、まだ9歳くらいだったでしょうか。
かわいらしい家なんだなあと思いながら
すぐに思い出したのは「チップタップロンロン」と「小さい秋みつけた」

真っ赤ないちごがお皿にみっつ
窓からのぞいて 雨が降る
チップタップ、チップタップ、チップタップロンロン


赤いいちごと、絹糸のように静かにふる外の雨。
そんな情景が目に浮かぶ曲、
学校で習ったその歌は、私のお気に入りでした。


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旧居あとには、

この世の中で
唯ひとつのもの
そは母の子守唄

と書かれた碑がたっています。
この場所には、小さい秋みつけたに書かれたはぜの木があったとか、
私はそのはぜの木を母とみたのでしょうか。
泣いてばかりいた夕暮れ時も、はぜの葉色した入り日も
今はやさしい色に見えます。

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歩いているうちに、ちょうど夕暮れ時になりました、
家々に灯りが灯りだすころ、
そんな灯ともしころ、
このひとつひとつの灯りの下に、今日もそれぞれのどんな日々があるのだろう、
泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだり。
母と歩いたその道をたどりながら、その家々の灯りの下の日々を想いました。

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今は遠くなった母の記憶、
悲しかったこともあったけれど、
赤いいちごがお皿にのっかった、おだやかでやさしい思い出もいっぱいあります、
やっぱりそんな思い出を集めて、ここに書いていきたい、
みんなのお母さまの話をきかせていただくたびに、
いまはなき母を重ねて、その方にも想いをかさねてみる。
母にこだわり続ける意味
少しずつだけど、自分でも書きながら見えてきたような気もします。
by kisaragi87 | 2008-11-08 17:57 | 思い出ぽろり
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