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蜜柑山の家

昨日は夫の母方の伯父の三回忌で、またまた小田原まで。
無事法事を終え、
お茶でもと従姉妹の実家へ行きました。

いつもお米を送ってもらう従姉妹の実家へ来たのは
去年田植えが終わって稲が青々とゆれる紫陽花祭りに来て以来。
あの頃足を痛めて介助されて歩くのがやっとだった伯母も
ひとりで歩けるようになるまで快復していてほっとしました。
ただ入れ替わりに義母の生家のある少し山に入ったところにいる叔父夫婦が
二人ともからだをこわし、老夫婦だけの生活がおぼつかなくなり、
当座の手立てで二人して老健に入っていました。

話は自然とそのことになり、
山の家は今は空き家になっていること、
そこに帰ることのできる見込みはないこと。
裏山にあるお墓は竹やぶになってしまい、素人にはその竹をどうずることもできず
誰も手をつけられない状態なのだそうです。
離れたところに嫁いでしまった三姉妹も、交代で老健に通うのがやっと。
従兄弟総出で山に行ってどうなるかと検討するも、
山の境界すらわかるものはおらず、平面図をみてもお手上げなのだそうです。

義母の生まれた里はすぐ裏が山になっており、
男の子達はそれぞれ分けて山をもらったそうです。
そこを本家にあたる叔父が面倒をみてきました。
かつては蜜柑がたわわに生ったこともあったそうですが、
山をもらったそれぞれが今はその山を持て余しているそうなのです。
これは何も叔父達の家にかぎったことではなく
そのあたり一帯は駅からも遠くて足の便がすこぶる悪く、
くねくねと山道を行くには車を使うしかなくて、
家々もそんな山道沿いにはりつくように建っています。
そのため後継者がなかなかいなくて、どこも同じような状況のところばかりだとか。
ご先祖さまたちもそんなことになろうとは、思っていなかったでしょうに。

従姉妹の田んぼに行くたびに必ず母の里にも寄って
叔母に会い、お仏壇にお線香をあげてくるのが恒例になっていました。
生まれてすぐに母親がなくなってから親戚に養女に出されていた義母でしたが
娘時代はここですごした時期もあったとか。
二階にあがると、細い廊下に面して当時のままの部屋が並んでいます。
お母さんがいたのはこの部屋よと叔母がおしえてくれたのは
そんなに前のことではありません。
家というのは不思議なもので、住む人がいなくなると
急に傷みがが出てくるということもききます。
今は住む人のなくなってしまったその家もそうなっていくのでしょうか。
建ってから80年近く経つ家がこうしてあるほうが不思議なのかな。

私が男だったら、山のひとつももらえたかもしれないのにね、
そうしたらみんなに蜜柑をいっぱい食べさせてあげられたのに、
と笑いながら言っていた義母。
あの子達も蜜柑のひとつも送ってくれればいいものをと、
弟達から送られてこない蜜柑に愚痴を言うこともありました。
今思えばとっくに蜜柑は作れなくなっていたのでしょう、
とても酸っぱいその地の蜜柑を義母はとても愛していました。


蜜柑山の家_c0114872_16311592.jpg

by kisaragi87 | 2010-01-11 16:04 | 日々雑感
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