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命日

夫の両親の十三回忌と、三回忌を終えて
なんだか肩の荷がおりたというか、
義母がなくなってから二年、やはり一周忌、三回忌を終えてはじめて
やっと無事に見送ることができたのだなぁと実感できたような気がします。

義母が脳梗塞で倒れたのは、ちょうど今住む家が完成して
明日は一緒に住めるという日。
年寄りの引越しはこたえるから、おまかせパックにしてね、
自分達の引越しもあって手伝いに行けないからお願い、
という私たちの言葉にうなづきながらも、昔ながらの気質ゆえ、
近所のスーパーからダンボールをもらってきて
自分達で荷造りした無理がたたったようでした。
まさかこんな形で同居が始まろうとは誰一人夢にも思っていなかったことでした。

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義母は昭和二年生まれ、神奈川県の山北というところで生まれたのですが
母親の産後の肥立ちが悪く、三人目の子供である義母を生んですぐに亡くなりました。
父親にあたる人は、母親の妹をじきに後妻としてもらったそうですが
なぜか兄弟は親戚の家にちりぢりに養子に出され
義母は、小田原の遠縁にあたる子供のいない夫婦に貰われたそうです。

裕福で、愛情にあふれたご夫婦だったようで、もうひとり一緒に養女になった
従姉妹を姉として、それは大事に育ったと聞いています。
まだ赤ん坊の時に、養女となり、そして大事に育てられたことは
奇しくも私の母と同じでした。

義母は天真爛漫な童女のような人でした。
童女ですから、時に我がままでもあり、夫や私も振り回されたこともありましたが
おおらかな笑顔は誰をも惹きつける不思議な存在感がありました。
この度の法事でも、
義母と同年代のご住職のお母さまが、
「あや子姫のためにこしらえたのよ」 と可愛らしいお霊供膳を用意していてくださいました。
焼きもちやかれるといけないから、お父様の分も作ったけど。。
。。って父の十三回忌でもあるのですが(笑)
みんなの話題も、すっかりあや子おばちゃんのことばかり、すっかり主役の座を奪われてしまった義父は、天国で義母をあいてに苦笑いだったかもしれません。

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義父なきあと、義母と向き合った10年は決して短いものではありませんでした。
介護とは、いつ終わるとも知れぬトンネルの中にいるようなもの。
相手の状態がよければ、心おだやかに介護もできるのですが
ひとたび泥沼のような状態になると、とても平常心ではいられなくなってしまうのです。
義母の場合は、時々起こす眩暈の発作の時と、足の痛みで立てなくなった時のトイレでした。
決してオムツには用をたしてくれない義母でしたから夜は添い寝をして
トイレ介助をするのですが、
これが時に、30分おきに起こされるのです。
ぐっすり眠れないから、すぐに気になる、気になると粗相をしないようにトイレに行きたくなる
自分で行かれないと思うと、ますます気になる。
かといって、いざトイレに座ると少しも出ないのです。
布団に戻っても、こちらもすぐには寝つけなくて、やっとの思いでウトウトしたころ
また起こされる。
いいかげんにしてくれと言いたくなって、つい声を荒げてしまうのです。
「さっきしたばかりじゃない、出るわけないでしょ」
そしてまた、そんな自分に嫌気がさす。

ただ、そんな私の気持ちを察した義母はもっとつらかったことでしょう。


ちょうど今からふた月ほど前、ある夢をみました。
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昔は夢日記などというものもつけるくらい不思議で暗示的な夢をよくみた私ですが
最近は、眠気がまさり、5時間ほどの睡眠時間はあっというま
ろくに夢を見ることもないような日々です。

ところが、めずらしくこの夢は目覚めてもはっきりと憶えていました。


そこはどこか田舎の田んぼ道、
左には竹やぶがあり、右てには田んぼがずっと広がり
そこをいつもそうしたように、義母の車椅子を押して歩いていました。
ずっと向こうには県道のような道が横に走っていました。
そして、ふと、嫌な予感がしたと思ったら、
その道に面した一軒家が突然爆発炎上したのです。
スローモーションで、瓦礫が空へ舞い上がり
かなり離れていると思われるこちらまで、バラバラと落ちてきそうな気配です。
あぶない、そう思ったときに思わず義母の膝に顔をうずめていました。
本来なら私が車椅子の義母をかばわなくてはならないはずなのに。。
ふと気づくと、義母が優しく背中をさすってくれていました。
なんとも懐かしいような安らぎでした。ずっとずっとこのままでいたい、
そう思うような穏やかさでした。
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たったそれだけのことなのだけれど
目覚めてからも、背中に置かれた義母の手のぬくもりと穏やかさが
はっきりと残っているようで
しばらく不思議な気持ちで、その夢を反すうしていました。
今思えば、ちょうど検査の結果待ちで不安な頃だったはず
義母が大丈夫と、背中をさすってくれたのかもしれません。

最後は腸閉塞も併発して、気管切開もして、寝たきりになって、大好きな甘いものも
ひとくちも食べられなくって、家族全員もう頑張らなくてもいいよと思ったときも
決して、生きることをやめたと言わない人でした。
そんな義母からの励ましは、何より説得力のあるものだったでしょう。


今日は義父の祥月命日、
なのにお義母さんのことを書いてるなんてね、お義父さんごめんなさい。
でもあなたの愛する妻は、強い人でした、ほがらかでした。
今はふたり一緒ですか?
by kisaragi87 | 2007-05-15 21:51 | 日々雑感
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