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こだわり

行ってらっしゃいで、思い出したことがありました。
おかえりなさい、のこと。

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「おかえりなさい」
「ただいま~!」
そんなやり取りが、我が家でいく度繰り返されてきたことでしょう。
なんでもない日々の言葉。

でも私はこの言葉を子供たちにかけることに、こだわってきました。
それは何より私自身が、母からの「お帰りなさい」が聞きたくてたまらなかったから。


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母は私が小学校に上がるころから勤めはじめ
中学にいくころには、父の勤め先の倒産から、
それこそ身を粉にして働かなくてはならなくなりました。
家では折り合いの悪い父と祖母の諍いが絶えず、
それをとりなし、父と祖母の顔色をみながら
何とか平穏に時間が流れるようにと配慮する役目は
いつしか私に課せられていました。
気を張り詰める日々の中で、それを分かつ兄弟もない私にとっては
思いがけず母の帰宅が早い日は、
それこそ飛び上がらんばかりに嬉しかったのです。

「おかえりなさい」
玄関をあけて、母の明るい声が聞こえると、それでもうじゅうぶんといえるほど幸せでした。
「えっ?お母さん?どうしたの、早いね~」
そんな日は用もないのにお勝手にいりびたり
洗った手を母の割ぽう着のすそでふいて、
「こらっ」と、笑いながら叱られたりするのが、くすぐったいほど幸せでした。

母の割ぽう着姿は母が母でいてくれる時間のあかし、
晩年は (といっても今の私とあまり変わらないのですが) 洋服のお洒落も知り
それを着こなす楽しみにはまった母ですが
私が幼い頃の母はいつも和服姿でした、
仕事ももちろん和服ででかけるのですが、きりっと着こなした和服姿は美しかったけれど
私にとっては、仕事へ行く母の戦闘服に見えました。
「今日は遅い?なるべく早く帰ってきてね」
夏休みなどに、そういってぐずる私に向かって
「出たもんと死んだもんはわからないのっ」
私にかまけていたら、可哀想と思っていたら仕事に出かけられない
心を鬼にして自分に向かってもそう言い聞かせていたのかもしれないけれど
そんな言葉を返されると、なんだか突き放されたようで悲しくてしかたありませんでした。

だから白い割ぽう着の母でいるときは
ことさら甘えたくなってしまうのです。
そんな日は流しに向かって立つ母のうしろのテーブルに腰掛けて
湯気のあがるお鍋と一緒に、飽きることなくその後姿を見ていました。
でもそんな夢のような日は、ひと月の中でも数えるほど。


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それぞれの、それぞれへの愛情はたっぷりとある家庭でした。
父から母と私への、
また祖母から母と私への、そして母から父と祖母と私への。
そしてたぶん、父から祖母へ、祖母から父への愛情もあったのだと思います。
誰もが愛をかかえてぃるのに、それがうまく、まあるくならないそんな日々。


子供ができたら、ぜったいに働かない。
家にいて、お帰りなさいがいえるお母さんになるんだ。
それは私の中ではずっとずっと一番に決めていたことでした。

結婚してからは、義母の介護があって家を空けられないという理由もありましたが
たとえそれがなくても、経済的に許されるのなら
私は子供におかえりなさいをいう夢を実行したことでしょう。
そして下の子が中学を卒業するまで、おかえりなさいを言い続けました。
今もなるべく、そうしています、
というか、仕事には出ているのですが、みんな遅いから言えてしまう(笑)

これはけして、働くお母さんを否定するものではないのです。
私の母のように、働かざるを得ないお母さんもいるでしょう、
家庭とうまく両立して、素敵に働くお母さんもいるでしょう。

そんな難しいことではなく、
そして子供の心を大切に、なんて立派なことでもなく
ただただ、自分の満たされなかった想いを直していきたいだけのこだわりなんです。
だから私が子供におかえりなさい、と言うとき
子供はかつての私になり、私はかつての母になっている、そんな気がすることもあります。


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穏やかな家庭に育った子供たちには、
そんな母の想いなどどこ吹く風なんだろうな~
でも、いいの、いいの
これは、たぶん私のためのお帰りなさいなのだから、こだわりなのだから。
by kisaragi87 | 2007-06-25 06:15 | 思い出ぽろり
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