伯母の葬儀は、ほんの一握りの人しか参列がありませんでした。
私たち家族と、札幌からかけつけた叔母の家族、 それからグループホームでお世話くださったスタッフの方々 そして、はとこの友達数人。 あともうひと家族?と思われる人たちがいたのですが、 特別はとこからの紹介もなく、 あちらもまったく気にかけるふうでもなかったので、おそらくはとこの父方の親戚か 会社関係の方なのだろうと思っていました。 それが火葬場の帰りのマイクロバスの中 後ろの席にこしかけたその人たちから北海道の訛りと、地名が次々・・ えっ?と思いました。 この日はワンデーセレモニーという、お通夜、葬儀、初七日をすべて一日で執り行なう型式のもので、最後に食事の時間がありました。 前記事で書いたように、札幌の叔母達とひとしきり話に花が咲いたあと あちこちの席を回るはとこに、 ずっと気になっていた、さっきの方々のことを訊きました。 はとこはちょっとためらうように考えたあと 「実は、あの人たち、あなたのお祖母ちゃんのお姉さんのお孫さん家族なんだけど あなたのお祖母ちゃんとは、ずっと折り合いが悪かったらしくて・・ 今回も、あなたに会うのが気まずいって言われていたんだ でもせっかくだものね、こんなチャンスないから話してみればいいよ」 そう言って、ひとりの女性を連れてきてくれました。 そのひとが、祖母の姉の孫。 祖母は北海道の増毛の生まれ。 当時鰊御殿と言われていた網元のひとつで、今回の思い出話の中でも、 増毛の網元では小結クラスに位置していたらしいともききました。 ここにも書いたことがありましたが、 子供の頃は、ネエヤや、番頭さん、使用人に囲まれ、何不自由のない暮らし 馬そりで学校までの送り迎えや、正月行事の華やかさを聞くたび、 またその後のいろいろを思うにつけ 増毛の子供時代は祖母のいちばん幸せな時だったという気もするのです。 増毛の家は女ばかりの四姉妹、 しかたなく長女が婿養子をとって後を継いだらしいのですが その後没落の一途。 そんな中で、姉妹のあいだにも色々な確執が起きたのかもしれません。 いずれ劣らぬ漁師の血をひいた激しい気性の持ち主 特に次女と私の祖母である三女 この二人には何か決定的な行き違いがあったようなのです。 そして一番仲のよかったのが妹、 前記事の亡くなった伯母と、札幌から来ていた叔母姉妹の母親である四女でした。 だからその子供たちである姪達はとても可愛がり 早逝してしまった妹の代わりにとお産扱いまでしたようなのです。 一方、仲のいちばん悪かった姉の子にはひどくつらくあたったようで、 ○○の生んだ子なんてろくなもんじゃない、とまで言ったとか・・ 目の前に座った彼女が、申し訳なさそうに、 でも母親や祖母の苦々しい気持ちも吐き出すように話す姿は、 遠い日の祖母と、その姉の日々を彷彿とさせました。 ある時も、そんな姉妹の確執を知ってか知らずか、 それとも和解の印にと思ったのか、 姉の子にあたる、彼女の母親が はるばるリンゴをトランクにいっぱいつめて祖母のもとを訪ねた時 何か祖母がひどいことを言ってしまったようで 一生懸命もってきたリンゴを土間いっぱいに投げつけて帰ってきたことがあったとか・・ 土間に広がるリンゴの紅が、行き違った想いの哀しさの象徴のように 私の目に浮かびました。 そしてそれを最後に、いっさいの付き合いがなくなったとのこと。 孫の代になっても、 私と顔を合わせるのもためらわれるほど、その傷は深かったようです。 祖母は情も深ければ、気性も荒く 母も私もその感情の起伏の激しさには、ほんとうに翻弄されてきました。 寒い日に学校から帰ると、 「おお寒かった、寒かった」 そう言って、私の手をいきなり懐へ入れて温めてくれる日もあれば ある日は、憎まれ口をきいた私を包丁を持って追いかけるような人。 だからこの時に聞いた話はぜんぶうなづくことができました。 それでも祖母のことを心底怖いと思ったことは一度たりともありませんでした。 子に恵まれず、唯一よりどころだった温厚な夫にも早くに先立たれ、 女手ひとつで母を育ててきた祖母。 そんな日々が祖母の気性を作ったのか、それとも生まれながらの気性なのか 祖母と私は実際の血のつながりはありませんが、 母も私も、そんな祖母をどうしても守らねばとも思ってきたのです。 これら姉妹との行き違いのことには、固く口を閉ざして多くは語らなかった祖母。 その訳が少しだけ見えてきました。 ただ、そこに自責の念があったのか、それとも祖母にも言い分があったのか、 それはいまだにわかなぬままなのですが 私がここで果たした一世紀にも近い年月をかけた、孫同士の再会。 散らばった林檎を目に浮かべたとき やはり今ここで和解をしておきたい、祖母の代わりに握手をして、謝りたい。 そう思ったのです。 「ごめんなさい、祖母にかわってお詫びします」 そう言ってさしだした手 「いえいえ、お互いに漁師の娘、きっと気が荒かったのでしょう」 目の前の彼女もぎゅっと握手の手に力をこめてくれました。 なんで謝るのさ! 負けず嫌いの祖母が、あちらで地団駄ふんでいるでしょうか、 それとも、よかったと胸をなでおろしているでしょうか。 それは誰もわからない、 ただ生きてるものの気持ちかもしれません。 でも私はここで彼女に引き合わせてくれたすべてに感謝したい気持ちでした。 帰り道の曲がり角で、また会釈をして笑顔で手を振れたことに感謝しました。
by kisaragi87
| 2008-02-15 12:13
| 思い出ぽろり
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